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海を飛ぶ夢 -Mar adentro- (2011.01.18)
海を飛ぶ夢







25歳の時に頚椎を損傷し、27年間首から下の不随と闘った男の実話を元にしたスペイン映画。

半生以上を寝たきりで過ごした“ラモン・サンペドロ”(ハビエル・バルデム)は、自分の人生には全く尊厳がなかったとし、安楽死という死に方を自分の意思で決断することで、せめてもの尊厳を保とうとした。

そのためラモンは、隠れて死ぬのではなく、自らの意思と権利のために、安楽死を政府に求めた。
しかし政府は、ラモンの主張は理解できても、キリスト教の信念からそれを手助けすることは犯罪だと考え、容認しない。

ラモンを弁護する女性“フリア”は、同時にラモン自身に生きる希望を持たせようとするが・・






手足を全く動かせないラモンが、想像の世界で空を飛び、海を見に行くシーンはすごくキレイ!
ラモンは死後の世界はないと考えているけど、それでも、不確かなその世界で自由になれる自分を信じていてるのが切実で切ない。


「生きることは“権利”だが、動けない不自由な体で生きるなら人生は“義務”」というラモンの言葉は印象的でした
彼が死を求めるのは、自らの確固たる意思と自身への尊厳を思えばこその選択なんだね。
自由を束縛する肉体から解放されて、本当の自由を求めたわけで。
だからラモンは、それを否定的な“自殺”とは考えず、肯定的な“安楽死”と考えてる。






ラモンと同じような四肢麻痺患者の神父は、ラモンが死を求めるのは家族の愛情が足りないからだとして、ラモンを救おうとする。
キリスト教の信念からくる神父の主張と、自殺とは違う安楽死の尊厳を主張するラモンの対峙は見応えがあった。「命が代償の自由は自由ではない」とする神父に対し、「自由が代償の人生は人生ではない」とするラモン。
ラモンにとって、異端者を処刑してきたような都合の良いキリスト教の言葉は全て詭弁に聞こえたようだけど、彼にとってみれば、もし本当に神や救いがあるのだとしたら、まず実感できる形で自分を救って欲しかったのかもしれない。

同じような病状だったからこそ、神父の言葉はラモンに強く訴えることができたはずだと思ったけど、この神父は神や聖書の言葉には理解を示す一方で、現実にいる人の気持ちを理解しようとしてるようには思えなかった。どう見たって人と人の会話なのにね。一方的な持論を諭したところで、ラモンやその家族から信頼が得られるはずもなかったのかもしれない。




この映画では、ラモンの家族や、彼を尊重する人達が、ラモンに対し温かく精一杯接してくれているけど、自分からは何もできないラモンが、絶対的な孤独を感じているという思いを口にした時、何とも言えない気持ちになった。
向こうから接してきてくれても、少しでも離れていれば、自分からは触れられない。人にとっては測れる距離でも、ラモンにとっては等しく無限なわけで、同じ人間なのにどうしてこんなに違うんだと、本人はただ苦しむだけ。
仮に、生きていてくれさえいればいいって家族が思ったとしても、ラモンにとってはそれすら家族の一方的なエゴだと感じるのかもしれない






こういう映画で、主人公の主張に賛同する場合、ほとんどの人は感情論からな気がする。でも、ルールを作る立場の人間というのは、なるべく感情論を切り離して、厳粛に詳細に決めている気がする。
どちらがいいということではなく、この映画のイイところは、ラモンの意思を尊重しつつも、他の立場の人の意見も平等に取り入れてるとこですね。
安楽死に対する様々な見方があるからこそ、ラモン自身の意見や、その行為の是非について深く掘り下げて考えることができる。
安楽死に賛成する人だって、本当は死んでほしくはないんだという複雑な心理が描かれている。
単純じゃないというか…、この映画を見ていると、人の生死の尊さにただただ気付かされる。





 
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